倉吉行きのディーゼル特急「スーパーはくと」が出発してまもなく、JR大阪駅の4番線に9:36分発 『特急はまかぜ1号 浜坂行』が入ってきた。キハ181の面構えは何度となく見ているので愛着があるが、いままで乗る機会がなかった。「今のうちに乗っておかないとこのディーゼル特急には2度と乗れないかもしれない」というのが今回の廻り道の理由です。
ディーゼル特急「はまかぜ1号」は低いエンジンのうなりと共に発車。オルゴールが鳴り案内放送が始まります、このオルゴールの懐かしい旋律は国鉄時代によく聞いたものでした。
大阪を出た「はまかぜ」は姫路まで新快速と同じ線路を走るため飛ばします。それでも100km/hくらいの速度のためか、乗り心地もよくディーゼル・エンジンの音もそれほど大きくは感じません。もっと大きな音かと思っていたので意外でした。
私が乗った自由席は平日ということもあり、がらがらで、客室は古さは感じられるものの比較的綺麗でした。
この写真は普通席 グリーン車の室内
姫路から進行方向が変わって播但(ばんたん)線に入る。播但線はスピードを出せない単線のため、のんびりと走る。住宅地がしばらく続き、やがて生野峠をそれほどエンジンを唸らせることもなく通過。山陰本線の和田山に着く。和田山からは、新型の電車ともすれ違うようになる。
山陰本線は海ぎわを走るのかと思っていたのだが、ほとんどが山とトンネルで、時々しか海が見えない。
余部鉄橋(餘部鉄橋)
浜坂に着く直前に、現在新しい橋りょうの工事が行われているという有名な余部鉄橋を通過する。
この写真は鉄橋を通過する時にその下を撮ったものです。余部鉄橋の写真をここに貼りたかったのですが、それより鉄橋の通過を体感しようと考えました。(余部鉄橋を写真を提供していただける方を待っています)
しかし、この特急で通過するだけでは余部鉄橋を通ったという実感はあまりありませんでした。体感するなら前方の見える普通列車で渡ったほうが良さそうです。余談ながら、余部鉄橋は通称で、正しくは「余部橋りょう」。
余部を過ぎるとまもなく終着の浜坂。浜坂から普通列車に乗り45分で鳥取に到着。鳥取着14:05。鳥取といえば単純にカニか鳥取砂丘しか思い付かない...というわけで鳥取砂丘へ足を運ぶことにした。
JR 181系気動車
かつて中央西線「しなの」、奥羽本線「つばさ」、伯備線「やくも」、土讃線「しまんと」などで使われていた特急用の気動車。
急勾配に対応させるため各車両に1基の500PS級の大出力ディーゼル・エンジンを搭載し、その放熱のため屋根上に巨大な自然通風式ラジエーターを搭載しているのが特徴。(写真では屋根上の黒く見える部分がラジエーター)
この放熱機構により急勾配区間では放熱不足によるトラブルが多かったとされている。キハ181系なら奥羽本線 板谷峠の急勾配(33パーミル)も単独で登れるはずだが、このトラブルを防ぐためか奥羽本線「つばさ」ではEF71機関車の助けを借りて峠を通過していた。
写真は1970年から1975年11月24日迄走っていた奥羽本線 赤岩−庭坂を走る気動車特急「つばさ」。
はまかぜ(ターボ)西明石を高速で通過
私は聞くことができなかった181系のターボの音、youtubeにはターボ音を響かせながら通過する「はまかぜ」の動画がありました。
急勾配区間でも気動車単独で勾配を上れるように昭和43年に導入されたパワフルな特急型気動車。エンジンは12気筒500psのDML30を使用。 120km/h運転が可能である。登場時は伯備線の「やくも」、大阪と博多を山陰経由で結ぶ「まつかぜ」や大阪と鳥取を結ぶ「はまかぜ」に使用されたが、「やくも」は電化で電車化、「まつかぜ」は福知山線電化で消滅、電車特急「北近畿」となった。残る「はまかぜ」は現在も健在であるが、西日本色に塗り替えられ、国鉄色は消えてしまった。
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